2005年11月01日[火]
ブービーズ活動再開
毎度おおきにアキラパンチです。
ハンザムボーカルとちまたで噂さのアキラパンチです。
2004年5月4日で活動休止してから早や1年と5ヶ月…。
やっとBOOBEESの活動を再開することになりました。
ありがたやありがたや嗚呼ありがたやありがたや。
しかし!でございます。
わたくしアキラパンチはなんと、花の都「東京」を離れ、
我が故郷「福井県は越前大野」に舞い戻ってきたのでございます。
なもんで、福井を中心に活動していくことになりました。恐縮です。
それでですが、東京で活動していたメンバーとは全くもって変わるわけでございます。
わたくしアキラパンチは当然残ってるわけでございますが、
ナオキング、キャプテン田中、たーぼー、
は永遠に不滅ですってことで選手交代であります。
新しく、ベースにはBOOBEESの初代ベーシスト「あさいまん」が復活します。
ドラムとギターには大野市在住の某クソうまインストバンドの「まさやん」と「まえちん」が新規参入。
新しくトランペットを入れて、清く正しく美しくをモットーに活動していきたいと思います。
ファック自民党、ファック郵政民営化で活動していきたいと思います。ファックトゥミーでございます。
つきましては、新しく生まれ変わろうとしているBOOBEESと
読売ジャイアンツを御ひいきしていただきたいと思い、
わたくしのあいさつとかえさせていただきます。
このたびはおめでとうございます。恐縮です。
アキラパンチ
ハンザムボーカルとちまたで噂さのアキラパンチです。
2004年5月4日で活動休止してから早や1年と5ヶ月…。
やっとBOOBEESの活動を再開することになりました。
ありがたやありがたや嗚呼ありがたやありがたや。
しかし!でございます。
わたくしアキラパンチはなんと、花の都「東京」を離れ、
我が故郷「福井県は越前大野」に舞い戻ってきたのでございます。
なもんで、福井を中心に活動していくことになりました。恐縮です。
それでですが、東京で活動していたメンバーとは全くもって変わるわけでございます。
わたくしアキラパンチは当然残ってるわけでございますが、
ナオキング、キャプテン田中、たーぼー、
は永遠に不滅ですってことで選手交代であります。
新しく、ベースにはBOOBEESの初代ベーシスト「あさいまん」が復活します。
ドラムとギターには大野市在住の某クソうまインストバンドの「まさやん」と「まえちん」が新規参入。
新しくトランペットを入れて、清く正しく美しくをモットーに活動していきたいと思います。
ファック自民党、ファック郵政民営化で活動していきたいと思います。ファックトゥミーでございます。
つきましては、新しく生まれ変わろうとしているBOOBEESと
読売ジャイアンツを御ひいきしていただきたいと思い、
わたくしのあいさつとかえさせていただきます。
このたびはおめでとうございます。恐縮です。
アキラパンチ
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2005年11月01日[火]
新宿路上パンクスター
【ジャケット写真はいります】
1stミニアルバム
CRBC-1041/CAM RECORD
2003/8/6リリース
1000円(税抜)
-----
AI
I don't Wanna go to the front
School life
あおげばとうとし
2948
韋駄天ブービーズ号
We
バカになりたい
FAMILY
1stミニアルバム
CRBC-1041/CAM RECORD
2003/8/6リリース
1000円(税抜)
-----
AI
I don't Wanna go to the front
School life
あおげばとうとし
2948
韋駄天ブービーズ号
We
バカになりたい
FAMILY
2005年11月01日[火]
Are we HAPPY?
【ジャケット写真はいります】
1stアルバム
ARC-0103/ANTRECORD
2001/12/24リリース
1500円
-----
スケベマンⅡ
DAILY LIFE
Feel so good
Keep kids' mind
This is all
グゥイネスとパルトロウ
アルプスの少女ナオジ
サンクス
サラリーマン
HARD MARUETU2
The young, let's love
ひまわり
Tresure your life
The world of kid's
A
Good bye our love
ビビデバビデブー
1stアルバム
ARC-0103/ANTRECORD
2001/12/24リリース
1500円
-----
スケベマンⅡ
DAILY LIFE
Feel so good
Keep kids' mind
This is all
グゥイネスとパルトロウ
アルプスの少女ナオジ
サンクス
サラリーマン
HARD MARUETU2
The young, let's love
ひまわり
Tresure your life
The world of kid's
A
Good bye our love
ビビデバビデブー
2005年11月01日[火]
参加オムニバス
▼Mighty Live Box 西日本版
参加曲:I don't wanna go to the front
TLSC-2
SHOVEL RECORDS
2003/5/7リリース
1500円(税抜)
▼BIG OF STYLE
参加曲:WE
BMR-0002
BIG MUSIC RECORD
2002/3/22リリース
1500円
▼ANT BUS
参加曲:ビビデバビデブー/ひまわり
ANTRECORD
2000年リリース
1500円
▼HAPPY DRAIVE V.A
参加曲:DAILY LIFE/Keep kids' mind
ANTRECORD
1999年リリース
1500円
参加曲:I don't wanna go to the front
TLSC-2
SHOVEL RECORDS
2003/5/7リリース
1500円(税抜)
▼BIG OF STYLE
参加曲:WE
BMR-0002
BIG MUSIC RECORD
2002/3/22リリース
1500円
▼ANT BUS
参加曲:ビビデバビデブー/ひまわり
ANTRECORD
2000年リリース
1500円
▼HAPPY DRAIVE V.A
参加曲:DAILY LIFE/Keep kids' mind
ANTRECORD
1999年リリース
1500円
2005年11月01日[火]
BOOBEESの軌跡
1995年春、Vo.アキラパンチとG.ナオキング(元ブービーズギター)と
B.あさいまんの3人でブービーズを結成。
生まれ故郷の福井で活動をスタートする。
同じく1995年の夏にD.中川氏が加入し、初代BOOBEESのメンバーが固まる。
地元福井での活動を経て上京を決意。1998年春、メンバー4人で東京へ。
東京は墨田区で共同生活をしながら活動する。
同じく1998年11月。アマチュアバンドの全国大会に東京代表として出場。
NHKホールの舞台に立つ。 が、これをきっかけに中川氏が自分の腕の限界を感じ脱退。
1999年からドラム抜きの3人での活動が始まる。
試行錯誤した結果、活動を止めたくない一心でドラムは打ち込みにして、ライブの本数を増やす。
最初は慣れない打ち込みのドラムにとまどいながらも、この作戦が巧をなす。
時は同じく1999年。
のちにドラムで加入するたーぼー(元ブービーズドラム)のバンド「ノーズピッカー」と対バン。
ブービーズを気に入ったたーぼーはサポートメンバーとして参加する。
同時期にブービーズでは定番となったゲリラライブを新宿アルタ前、原宿神宮橋でやり始める。
2000年に入り2月11日。
東京で初となるブービーズ自主企画のイベント「第一回ブービーズ音楽祭」を開催。
のちにベースで加入することになるキャプテン(元ブービーズベース)のバンド「ハッシュマイヘッド」も参加。
157人を動員し、初企画としてはまずまずの成功を収める。
しかし、同じく2000年6月。ブービーズに亀裂が入る。 あさいまんが脱退。
が、同時期にキャプテンのバンド「ハッシュマイヘッド」が解散。
アキラパンチがキャプテンに声をかけ、キャプテンがブービーズに正式加入する。
それを追いかけるように、2000年9月。
たーぼーのバンド「ノーズピッカー」が解散。
流れるかのようにたーぼーがブービーズに正式加入する。
同時期2000年の9月15日。
メンバーが固定されてからいきなり自主企画イベント「第二回ブービーズ音楽祭」を開催。
209人を動員し、勢いを増したことを確信する。
ライブの本数がどんどん増えていき、東京を飛びだして活動の舞台を全国に広げていく。
自主企画イベント「ブービーズ音楽祭」を定期的に開きながらゲリラと全国ツアーを中心に活動する。
2001年12月24日。
アントレコードから1stアルバム「ARE WE HAPPY?」をリリース。
タワーレコード各店で、上位チャートイン。
これにより、さらに活動を増やしていき年間ライブ本数は100本を越えるようになる。
2003年8月6日。
レーベルをカムレコードに移籍し、ミニアルバム「新宿路上パンクスター」をリリース。
タワーレコード各店で、上位チャートイン。
2ヶ月間にまたぐ「新宿路上パンクスター、レコ発ツアー」決行。
1週間連続で新宿アルタ前ゲリラライブも決行。
しかし、忙しさのせいなのかバンド内に亀裂が入ってゆく。
2004年に入り、キャプテンが脱退を決意。
2004年5月4日。「第十三回ブービーズ音楽祭」を最後にBOOBEES活動休止。
活動休止後でも「ブービーズ音楽祭」を開催し、「第十六回ブービーズ音楽祭」までたどり着く。
2005年8月。アキラパンチ、福井に戻る。
あさいまんと共にBOOBEESの原点、福井で活動を再開する。
B.あさいまんの3人でブービーズを結成。
生まれ故郷の福井で活動をスタートする。
同じく1995年の夏にD.中川氏が加入し、初代BOOBEESのメンバーが固まる。
地元福井での活動を経て上京を決意。1998年春、メンバー4人で東京へ。
東京は墨田区で共同生活をしながら活動する。
同じく1998年11月。アマチュアバンドの全国大会に東京代表として出場。
NHKホールの舞台に立つ。 が、これをきっかけに中川氏が自分の腕の限界を感じ脱退。
1999年からドラム抜きの3人での活動が始まる。
試行錯誤した結果、活動を止めたくない一心でドラムは打ち込みにして、ライブの本数を増やす。
最初は慣れない打ち込みのドラムにとまどいながらも、この作戦が巧をなす。
時は同じく1999年。
のちにドラムで加入するたーぼー(元ブービーズドラム)のバンド「ノーズピッカー」と対バン。
ブービーズを気に入ったたーぼーはサポートメンバーとして参加する。
同時期にブービーズでは定番となったゲリラライブを新宿アルタ前、原宿神宮橋でやり始める。
2000年に入り2月11日。
東京で初となるブービーズ自主企画のイベント「第一回ブービーズ音楽祭」を開催。
のちにベースで加入することになるキャプテン(元ブービーズベース)のバンド「ハッシュマイヘッド」も参加。
157人を動員し、初企画としてはまずまずの成功を収める。
しかし、同じく2000年6月。ブービーズに亀裂が入る。 あさいまんが脱退。
が、同時期にキャプテンのバンド「ハッシュマイヘッド」が解散。
アキラパンチがキャプテンに声をかけ、キャプテンがブービーズに正式加入する。
それを追いかけるように、2000年9月。
たーぼーのバンド「ノーズピッカー」が解散。
流れるかのようにたーぼーがブービーズに正式加入する。
同時期2000年の9月15日。
メンバーが固定されてからいきなり自主企画イベント「第二回ブービーズ音楽祭」を開催。
209人を動員し、勢いを増したことを確信する。
ライブの本数がどんどん増えていき、東京を飛びだして活動の舞台を全国に広げていく。
自主企画イベント「ブービーズ音楽祭」を定期的に開きながらゲリラと全国ツアーを中心に活動する。
2001年12月24日。
アントレコードから1stアルバム「ARE WE HAPPY?」をリリース。
タワーレコード各店で、上位チャートイン。
これにより、さらに活動を増やしていき年間ライブ本数は100本を越えるようになる。
2003年8月6日。
レーベルをカムレコードに移籍し、ミニアルバム「新宿路上パンクスター」をリリース。
タワーレコード各店で、上位チャートイン。
2ヶ月間にまたぐ「新宿路上パンクスター、レコ発ツアー」決行。
1週間連続で新宿アルタ前ゲリラライブも決行。
しかし、忙しさのせいなのかバンド内に亀裂が入ってゆく。
2004年に入り、キャプテンが脱退を決意。
2004年5月4日。「第十三回ブービーズ音楽祭」を最後にBOOBEES活動休止。
活動休止後でも「ブービーズ音楽祭」を開催し、「第十六回ブービーズ音楽祭」までたどり着く。
2005年8月。アキラパンチ、福井に戻る。
あさいまんと共にBOOBEESの原点、福井で活動を再開する。
: (11/06)